こんにちわコノハです。
11月1日はある国民食の記念日です。
世界中で愛される和食「寿司の日」なのです。
1961年11月「全国すし商環衛連」が行なった
同連第4回熊本大会会議で「実りの秋・収穫の秋
・米への感謝の日」として、11月1日を「寿司の日」
としたのが始まりです。
はじめに
その趣旨は「欲味覚の秋に伝統のすしの真価を
一般の方々へ浸透させ、老若男女の別なく十二分に
愛食していただき、また、一年間のご愛食への謝恩に報いるため」
という狙いからです。
では何故11月1日に決まったのかというと
ある歌舞伎の演目に登場する人物が強く関連しているのです。
寿司の元祖
都落ちした武将平維盛(たいらのたかもり)
義経千本桜という歌舞伎十八番狂言の中に
『鮓屋の段』という作品があります。
劇中の主役である「鮓(すし)屋の弥助」は平維盛という
都落ちした平家の武将でした。
(維盛は平清盛の孫に当たり平家の総大将だった。)
討伐から逃れるため、大和国(奈良県)吉野郡下市村で
鮓屋を生業にしていた旧臣「宅田弥左衛門」を頼ります。
下市村を流れる吉野川で獲られていた「鮎」を使って
鮓職人として身を隠しながら働くうちに、弥左衛門の娘
お里と恋愛に発展。
それから程なくして養子となり、実の名を捨て改名。
「鮓屋の弥助」と名乗るようになりました。
この改名した日というのが11月1日とされているのです。
出典:youtube 「釣瓶鮓屋1」
上の動画はこの寿司の日制定のもととなった歌舞伎の演目の一幕です。
古来の寿司
吉野地方で作られていた鮎寿司は
平安時代の50巻から成る法令集「延喜式」にも
登場するほど歴史が古いものです。
その作り方は大昔のチーズとも言われる発酵技術食品でした。
鮎の腸を取り塩漬けにしたものをおにぎりの上に乗せて、桶に入れます。
蓋の上に重石をかけて2~3日かけて自然発酵させました。
いわゆる「なれ寿司」の元祖です。
本来のなれ寿司は鮎のお腹の中にごはんを詰めるそうです。
出典:JAPAN WEB MAGAZINより
新宮市横町の「東宝茶屋」の鮎のなれ寿司
このなれ寿司を入れていた桶の形が
井戸水をくみ上げる「釣瓶(つるべ)」に似ていたところから
別名「釣瓶鮨(つるべすし)」とも言われています。
上記の作り方で自然発酵させると
タンパク質がアミノ酸へ変化し、程よい酸味が出て
旨みが出たのです。
漬ける期間によって「はんなれ(漬け込み数日~数週間)」や
数ヶ月から数年間漬け込むものもあったそうです。
海の無い地方にとっては貴重なタンパク源となっていたのですね。
整腸作用を持つ食品だった
今でこそビフィズス菌やLG21など、様々な整腸作用をもたらす
腸内細菌を美味しく頂く事が出来ますが、医療も科学も発達していない
昔の人々は、寿司等の乳酸発酵食品で健康を保っていました。
なれ寿司の中には30年ものもあるほど
長期保存が利き、舐めるだけで便通を良くし
デトックス効果も期待できるような健康食品だそうです。
お店によっては特性の壷でなれ寿司が販売されていて
この30年物はだいたい1壷5,000円で入手できるようです。
しかし、残念なことに「なれ寿司」は現在では需要が少なく
作れる人も高齢化が進み消えるかもしれない食品の1つです。
家庭の味としての地域の伝統料理でもある「なれ寿司」が
このまま消えてなくならないことを祈るばかりです。
まとめ
江戸前寿司とは違った製法と歴史文化があり
寿司の元祖といえばこの「なれ寿司」であるといっても
いいのではないでしょうか?
使われる材料も貴重になりつつあり、製法も手間隙掛かりますが
日本の貴重な和食として多くの人に知ってほしいです。
- 平安、室町時代には既に「なれ寿司」が存在していた。
- 1961年11月、全国すし商環衛連という団体が制定した
- 平維盛の恋愛から生まれた伝統食品
- 東洋のチーズとも称される古来からの乳酸発酵食品
- 別名「釣瓶鮨」ともいう
編集後記
最近は美味しい御寿司が手頃で楽しまれるようになりました。
その昔は発酵食品として健康と美容に役立っていたんですね。
いつからあんなに高級な食べ物になったんでしょうか?
あ~御寿司食べたいw
でわでわ、また今度。